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お勉強するにも何をしようか英語かなでもまぁいいかと思って
取り敢えず家に帰ると鬱みたいな状況が続いてたので考えてみた。

人はそれぞれキャラクターがあって、そのキャラクターに添って個性が出てくるんだと思うんだけど、
人によって態度を変えたり気分によって気持ちが左右されるから
漫画やゲームみたいに具体的に「こういうキャラ」っていう固定は多分誰も持っていないんじゃないかなと思う。
自分の考えに沿って歩いたり話したりするのは「自分」が「自分」だからなんだろうけど、
人の考えに沿って行動する時の自分は自分が自分であるということ以外に第三者を理解したうえで一番この人合うんじゃないかと思う行動で動いているんだと思うから、
そうなると自分の個性は自分のものなのか第三者によって決められるものなのかっていう風に考えてみる。
私は結構人によって演じるキャラクターが違いすぎて寧ろ本当の自分を見失う感じなので
私の個性は人によって左右される後者型なのかなって思って、でもそうなると自分を保つための個性はどこへ行くんだろうと考えました。
逆に、自分を貫き通せる人は「キャラクター」という枠に囚われずありのままの自分を出すことでどんな人とも渡り合えるということは前者ということになってきて、結局人間は面白いなぁってこと以外は分かりませんでした。

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depend on you
「第三者に合うと思う行動」を自分で考えてしてるんだから、それも自分の個性であるとも言えるんじゃない?
多重人格者でもない限り、自分の意志で行動した結果が自分を作っていくのであって、例えそれが色んな方向性を向いてたとしても根っこは一つじゃないかなぁ、とこれは俺の理論。
でも俺はそこから「でもその意思ってホントに自分の意思なのか」考えてしまって、俗に運命と呼ばれるようにもう全部決められていたり、それこそ第三者によって「そういう意思を持つように」影響を受けて意思を持ったり、とか色んな可能性が出てきて、まぁやっぱり結局は人間って面白いなぁってこと以外はわからないよね。
key 2008/06/09(Mon) 編集
maybe,maybe not
「第三者に合うと思う行動を考えてしている自分の意思は自分のものなのか」と考えると、そう思って行動しているのならば同じ根っこの行く先だよね。
そこで自分とは違う考えで行動するという、矛盾 が起こることがあるからそれは自分の意思ではないんじゃないかと葛藤があるわけだよね。その時は本当に自分は「自分がこう動くのだから自分の意思だ」と感じるのか、人が要求する考えに埋もれて姿が消えてるだけなのか、それとも本当に運命とかそういった自分の意思と反するところでシナリオ通りに進ませているだけなのか、えっとやっぱり人間って面白いけど複雑だよね。
keyはこういうこと話せる貴重な友達だな
秋本 2008/06/10(Tue) 編集
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